世界遺産と建築のフリー画像

バチカン 世界最大のバジリカ教会 サン・ピエトロ大聖堂 【Basilica di San Pietro】

フリー画像 Creative commons 0

MAP

概要

サン・ピエトロ大聖堂ここには古代、ネロ帝の円形競技場があり、そこで聖ペテロが殉教した。この第一の使徒が埋葬されたのもこの場所である。そのため、キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝・コンスタンティヌスはここにバシリカ(旧サンゼエトロ大聖堂)を建て、教皇シンマクスは500年代に司教館を建設した。
時が経っに連れてこの地区は発展する紀元800年のクリスマスの目、教皇レオ3世が神聖ローマ帝国皇帝となるカール大帝と会見したのは、当時ローマの司教座教会(カテドラル)だったサン・ジョヴァンニ・ラテラーノ教会ではなく、ここ聖ペテロの墓所の上であった。
1377年、アヴィニョンの捕囚から戻った。その後、ユリウス2世が、すでに倒壌の危機に瀕していたコンスタンティヌス帝のバシリカに替えて、新たに壮大な教会を建てることを決めるまで、教皇庁はここヴァチカンにあった。新しい大聖堂の建設は、1506年にブラマンテによって開始され、その後1世紀半に渡って続くことになる。
1514年にブラマンテが死んだ後ラッファエロオへ、1546年まではアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ショヴァネに、その後ミケランジェロに建築の指揮が委ねられた。彼は、ギリシャ十字型の集中式プランを提示し、新たに大クーポラをデザインしたが、その円筒形の基壇ができるところまでを見届けて世を去った。その後、教皇パオロ5世はカルロ・マテルノに、身廊を引き延ばしたラテン十字型のプランへの変更、両側廊に3室ずつの礼拝室を設けること、そしてファサードをつけ加えることを命じた。ファ一サードは1606年に建設が始まり1614年に完成するが、高さに比へて幅がありすぎるとして、多くの人々から批判された。1646年、ここでバロソクの天才建築家、ヘルニー二が大聖堂の建設に加わる。広場に楕円形の柱廊を巡らすという壮大なプランを持っていた彼には、同時にファサードの改修も委ねられた。
ローマのどこからでも見ることができるミケランジェロの大クーポラは、サンゼエトロ大聖堂の至高の象徴である。円筒状の台座には、優雅な破風に飾られた明かり窓が規則的に並んでおり、それぞれの窓の間には2本組の円柱があってクーポラを支えている。クーポラの頂上には、537段ある階段か、エレヴェーターを使って上ることができ、そこからはローマ市街の素晴らしい眺望を望むことができる。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧




Twitter でフォロー

人気の画像

プロフィール